第2回はこちらです>
第3回(前回)はこちら>
薬アレルギーが多い私は、初めて使う「フラジール(アネメトロ)」という抗生物質にヒヤヒヤしながら、
いよいよ手術当日を迎えました。
もうね、何か月もまともに食事が摂れてない状態で、
入院してからも、うっすい点滴しか入ってなくて
(高栄養点滴は、なしだったんです。医師の判断で。私としては信じられませんが・・・。どんどん衰弱していました)
もう、ヘロヘロでした。
こんな状態で手術に耐えられるのか・・・と、振り返れば思います。
そして、当日に日付が変わってからの夜中に、トイレで倒れかけたのでナースコールを押して
ナースに助けてもらいました。
血圧が、げき落ちしてて、意識もうろう。
(40台だったような・・・ちょっとしっかりした記憶がないので数字は言えないのですがショックおこしてるような状態でした)
気絶しかかってたみたい。
もう、夜中の病室でバタバタ緊急対応してもらって
他の患者さんに申し訳なかったですが、
足を上げて寝かされて、点滴で血圧上げてってしているうちに
落ち着いてきました。
そんな状態で朝を迎えたワケです。
「(手術無理だったどうしよう……)」
手術してもらわないと、このままじゃ生命の危機が……というほどだと自覚していたので
本当に心細かったぁ
で、ひどい体調でしたが、
外科の主治医は「手術決行」の決断で、
予定(9時スタート)より少し遅れて、手術することになりました。
そして、いよいよ
はじめての抗生物質「アネメトロ」が投与されます。
ガラス瓶に入った小さな点滴でした。
はらはらしながら、病室で入れられましたが、
アナフィラキシーショックなどおこすことはなく、その他、特に変化なく、
無事なようです。
めちゃホっとした。
手術に際して、
持病のSLEがストレス(精神的なストレスではなくて、メスで切ることで体に大きなストレスがかかります)で
悪化してはいけないから、
「ステロイドカバー」をおこなうことになりました。
いつも飲んでるプレドニンよりも多い量のステロイドを入れて、SLEの活動性が再燃しないように押さえ込むのです。
外来の膠原病内科主治医が、薬の量を外科に指示してくれていました。
「ソルコーテフ」というステロイドの点滴を、手術当日は100mg
そのステロイドの点滴も病室でいれました。
あと、二本目の抗生物質の点滴「レボフロキサシン」も。
そして、その後、
手術室に移動するまでに、
・歯を磨いて、
・ベッド回りを整えて、
・貴重品やスマホをカギ付きボックスに入れて・・・とか
手術準備をしようと思っていたわけですよ。
ところが、夜中に緊急事態になって、ベッドに寝たままになったので
トイレにもいけないまま
夜中に寝かされた状態のままで、
ベッド回りも片付けることもできず、
手術室までベッドのまま運ばれることになりました。
コロナ禍で、病棟は面会禁止なのですが
手術の日は、ひと目だけ家族に会うことが許されていました。
手術室に移動する廊下で、ほんの数分だけ、ベッドに横たわった私は母と話ができました。
痩せ細った私の姿に、母はどれほど心配していたでしょうか。
本当に、何度も何度も母には心配をかけてばかりで申し訳ないです。
元気にならねば!
そして、いざ手術室へ。
手術室の前室へ入ると、
オペナース>「名前を言って下さい。そして今日は何の手術をしますか?」と確認しました。
そんなこと聞かれるのかぁ・・・と、思いながら
「大腸憩室炎でS状結腸を取る手術と、小腸にストマを作る手術をします」と、返事をして、
手首に巻かれたバーコードを読まれ、手術室の中へと入ることになりました。
手術室、広い。
だだっぴろい。
ど真ん中に、私が寝るための手術台があります。
手術台は、「狭い」と感じました。
油断して動いたら落ちてしまいそうな程、狭く感じました。
私のベッドがその手術台に横付けされて、
私は横になったまま、もぞもぞと動いて、手術台に乗りました。
あとね、
ちょっと意外だったのは、
音楽が鳴ってるんです。
カフェみたいな、ボサノバみたいな曲。
おしゃれ〜
とか、思いながら、横たわっていました。
いろいろはしょりますが、
手術台に乗ると、
腰(背骨の腰骨あたり)に、針を刺して、麻酔をします。<硬膜外麻酔
この麻酔の針は、手術後も刺しっぱなしです。
まぁ、これを刺すときは、イヤなもんです。
今までいろいろ病気をしているので、
腰椎穿刺とか、今回のと同じ体勢で横になって、「腰に針を刺す」という検査をしてるんですよね。
あれ、怖いんです。
今回の硬膜外麻酔も、やだなぁ・・・と、ヒヤヒヤしましたが、
まぁ、無事でした。
その後、すぐに麻酔が効いてきて、
ぼんやりするし。
ぼんやりしながら、
頭元にいる麻酔科医のおじさんの先生と話しをしながら
麻酔科医>「あなたは、アレルギーが多いから、一番シンプルな麻酔でいくから」とか
私>「ありがとう。私もその方がいい。薬アレルギーが多いから、なるべく麻酔も強くないのがいい」とか
劇症肝炎がきっかけで伊豆に移住してきた話とか、を、手短に話して、
麻酔科医>「じゃ、麻酔かけていきますからね」
と。
腕に刺している点滴に、注射を入れた
とたん、
あっさり
「おやすみなさい」
長い手術中、気持ち良くぐっすり眠りました。
9時15分スタート。
13時30分終了。
「吉野さん、吉野さん」と、声を掛けられ
めっちゃ気持ち良く寝ていた私は
「はぁ〜。気持ちいいのに、なに〜?」
と、目が覚めて、
「あ!手術してたのか」
という具合でした。
起きた時には
HCU(High Care Unit:ハイケアユニット:高度治療室)の中でした。
外科の主治医の顔は、手術室では、見ないものなのですね。
母は、手術の待合室で、ずっと待機していたそうです。
手術後に外科主治医より、説明があり
私の体から切除されたS状結腸の実物を見たらしいです。
もう、ひどいものだった。と。
こんなものが体についてたなんて、、、そりゃ苦しかったやろう・・・と、
泣いてました。(後から聞いた話です)
私が目覚めた時は、HCUのベッドに
ストマの専門看護師さんが来てくれていて
ストマに、パウチ(専用袋)を貼り付けてくれていました。
まだ、麻酔が残っていて、私はぼんやりしていました。
「やっぱり、ストマになったのだなぁ・・・」という感想。
術前には、
「もしかしたらストマ付けずに、大腸を切るだけで済むかもしれない」とか、
内科の先生が言ってたり、
いろいろあって、
手術やってみないとどうなるか・・・
って感じも少しはあったんですよね。
だから、
「やっぱりかぁ」という感想でした。
HCUの夜
手術が終わり、夕方に外科回診がやってきました。
そこでやっと主治医や執刀してくれた上の先生も、他の外科の先生たちもやってきてくれました。
麻酔がシンプルなものにしてもらっていたためか、
もう、めちゃくちゃ痛い。
痛い。痛い。痛い。
もう、痛い。
背中に入っている麻酔が持続的に体に入っているんですが、
痛くて痛くて。
外科回診の時に
「痛い」と訴えたら
外科医>「えー!?痛い?」と驚く。
外科医>「やっぱり若いねー! おじいさんの患者さん達は、ぜんぜん痛がらないよ。へぇ。そう、痛い?」
って言うの。
びっくりするぐらい痛いんですけど。
外科主治医>「痛い時は、このボタン押したら、背中に麻酔がプシュっとスポットで入るから。我慢しないで押したら良いよ」
はい、背中の針からつながっているのが
こちらの写真の薬です。
医療用麻薬です。麻薬って言葉でびびるよね。
でも、まぁ、「痛み止め」です。
劇的に効くこともないし、特に副作用もなかったです。
HCUの夜は、このボタンを押そうが、痛みがひどくて
寝返りも自分では打てず、
身動きできず、
鼻にはチューブが刺さり(胃まで入ってる)
S状結腸があったところあたりに、ダグラス窩ドレーンというチューブがお腹に刺さってて
排液してるんですよね。
もう、なんか身動きとれないし、痛いし、苦しいし、痛すぎて眠れないし、
HCUの部屋の空調がめちゃくちゃうるさいし、
2時間おきに体温測るから(ワキに挟む普通の体温計)うつうつしてても目が覚めるし
熱も上がってました。
この一晩は、きつかった。
しかし、HCUというだけあって、ナースがすごく丁寧で、ナースコール押したらすぐ来てくれるし
いつも見守っていてくれて、安心感はありました。
朝起きたら、なんか、内科で担当医だった医師も様子見に来てくれたな。
それから、外科の朝の回診があって、
まぁ、術後の問題はなさそうなので
外科の病棟に戻ることになりました。
その後の話は、また後日に。
ストマ生活が始まりました。
前回のはこちらに>
私はいろいろと病気をしていますが
こちらも読んで頂けたら嬉しいです。このブログで書いている闘病より激しく厳しい話。
AmazonKindle
病院から出された薬が原因で!?まさか、、、そんなことに、という、話です。