12月13日(金)に順天堂大学静岡病院で開催された
市民公開講座「大災害に備える〜災害時に医療が必要な方の心構え・備え〜」に行ってきました!!
の報告・・・
第4回目です。(第3回はコチラ>>)
今日は、阪神淡路大震災が起こった日。
あれから19年になります。
私は当時、大阪に住んでいました。
朝方にあの地面から突き上げてくる揺れで
目が覚めました。
目が覚めても動けません。
家がきしむものすごい音がし、
身の危険を感じる、
恐ろしい揺れでした。。。
(>>私の阪神淡路大震災の経験はコチラのブログに)
今回の市民公開講座の中でも、
阪神淡路大震災の話が出ていました。
過去の経験を未来に生かす
↓
大災害に備える
被災された方々の辛い体験を無駄にしない
と、岡本先生が講演でおっしゃってました。
そこで、今日は
市民公開講座の中でお話がでていた
阪神淡路大震災の当時のことを中心に
ご報告したいと思います。
1995年1月17日(火)午前5時46分発生
「阪神淡路大震災」の頃のこと。。。
この当時は、まだ日本には災害医療体制ができてなかったそうです
第二回目の市民公開講座の報告でも
お話しましたが、
災害時は、
いかに適切に患者さんを広域搬送するか
が重要になってきます。
それなのに、
阪神淡路大震災の時には、
道路は寸断され、救急車で運ぶことができません。
現在の私たちは、
すぐに
「ヘリコプター」で輸送すればいいやん
って思いますよね。
でも、
大災害に備えた災害医療体制がない当時は、
ヘリでの輸送も簡単ではなかったようです
発災(=震災の発生)初日には、
なんと、
たった一機しかヘリが飛ばなかったんですって
それも、兵庫県の医師が個人的なツテで
手配できたヘリに患者さんを乗せて
大阪の病院へ運んだらしいです
マスコミのヘリはどんどん飛んでたのに・・・
なんてことだ
患者さんを搬送する手段としての
ヘリ輸送体制ができなかったんですね
事前に、備えていなければ
簡単に思いつくことでも実行は難しい
と、
いうことのなのでしょう
それも、災害時は、何もかも混乱してしまうから
特に準備して訓練してないと
動けないものなのでしょうね、、、
これは、私たち個人の行動にもあてはまると思います。
考えられることは
想像して、備えて、心構えをしておくことで
やっと少しは考えたように行動できるんじゃないかな・・・
「備え」
大切です
それで
阪神淡路大震災の時は、
発災後3日間は、ヘリでの県外搬送はほとんどできなかったそうです
災害医療が目指すものは
↓
↓
「避けられた死」を最小限にすること!
この阪神淡路大震災の時には、
後の調査で、避けられた死が500名を超すだろうと言われているそうです
そんな阪神淡路大震災の教訓から
以下のように
日本でも災害医療体制が整えられていったそうです。
【阪神淡路大震災の教訓を生かして】
・災害医療を担う病院がなかった
→災害拠点病院
・現場の急性期医療が欠落していた
→DMAT(災害医療派遣チーム)
・重症患者の広域搬送が行われなかった
→広域医療搬送計画・ドクターヘリ
・医療情報が全く伝達されなかった
→EMIS(広域災害・救急医療情報システム)
静岡県では→FUJISAN(ふじのくに防災情報共有システム)
(※青字の部分は、市民公開講座の配布資料より転記)
阪神淡路大震災の頃からすれば
災害医療体制ができてきていると知り
ちょっとホっと
しますよね
ドクターヘリや
DMAT(ディーマット)も
阪神淡路大震災の後にできたんですねぇ
あのひどい大災害の教訓から、
日本にも災害医療体制が整えられてきたんですね。
そして、
東日本大震災などさまざまな災害時に生かされ、
また
東日本大震災などの教訓から
これからの災害医療体制が進化していく。
私たち一人ひとりの意識も
高まっていかねばと思います。
では、また続きますね〜
次回につづく>>
2014年01月17日
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