さて、
いくつかのバリエーションも新登場してきた
「こどもまもるカード」ですが
「こどもまもるカード」の監修を
なぜ
順天堂浦安病院のこども救急センターの先生方がしてくれたのか・・・??
なんで・・・???
どんなつながり・・・???
という
みなさまが疑問に思われるであろうところを
ぐぐーんとご説明させていただきたいと思いますネ💓
話せば長い、すごい不思議なご縁があったのです。
私、以前に、
病院で出されていた治療薬が原因と思われる
薬剤性劇症肝炎になりまして、
「劇症」と病名につくほどですので
その時点で入院していた病院では、
猛烈な肝臓の悪化に対応できず
病院が救急車を呼んで、
命の最後の砦(とりで)と呼ばれる
「高度救命救急センター」へ搬送されたのです。
●その時のお話はコチラの記事にも書いてます≫http://asumosmile.seesaa.net/article/376229242.html
それから
ものすごい死闘が始まったのですが
その「高度救命救急センター」で主治医だったのが
アスモスマイル「わたし医療情報ノート」と「まもるカード」を監修してくださった
中森靖先生(現:関西医科大学総合医療センター救急医学科教授)で
その部下にあたり、その当時はまだ研修医だった救急医の先生が
今回「こどもまもるカード」を監修してくださった一人なのです。
当時研修医だったこの先生も、
私がいま生存できていることに
非常にポイントとなるいくつかの出来事の中で
重要な発言をしてくれたり、いろいろとありまして
キーパーソンであることは間違いない先生なのです。
この主治医と担当研修医だった先生方、そして他にもとっても重要な先生がいるのですが
この先生方がいなければ
私はいま生きてない・・・といっても過言ではありません。
そんな救世主ともいえる先生なのですが、
私が退院してからは、ご連絡がつかなくなっていました。。。
あれから10年以上たち、
私は大阪から伊豆へ引っ越し、
アスモスマイルをスタートして、
ぼちぼちと「こどもまもるカード」の原案を練って
ほぼ出来上がってきたかな〜と思っていたちょうどその頃、
昨年の12月ですが、
偶然にもその先生が順天堂大学浦安病院のこども救急センターにいる!ということがわかり、
(その時点ではじめて小児救急医になられたことを知りました。)
(なぜ、この時点で勤務先病院がわかったのかといいますと、
これまた不思議なご縁(偶然)がありまして、長くなるので、、、今回は端折ります)
居てもたってもいられず、
お手紙を書いて、
「こどもまもるカード」の内容を見てほしいとお願いしたのです。
そしたら、
私のことを覚えていてくださって、
(先生も私からの便りにめちゃめちゃ驚いておられました(笑))
快く引き受けてくださいまして、
それもこども救急センターの先生方チームで意見を出していただけ
一つ一つの記入欄を丁寧に見てもらえて
私の考えていた原案から、何度もバージョンアップを繰り返し、
すばらしいものに、出来上がっていったのです。
そんなご縁によりまして、
中森先生の時と同じく
ご厚意で(ボランティアで)
「こどもまもるカード」の監修をしていただけたのです。深謝m(__)mアリガトウゴザイマス
原稿を作り上げる中での先生方とのやりとりから
小児救急の先生方の子供たちに対する愛情が本当に伝わってきました。
私が作っていた最初の頃の案からすると
本当に優しい子供への愛情が込められたすてきなカードになりました。
先生方の愛情のおかげです💓💓💓
子供を守ることにつながるように、
ママやパパの心強さ、安心につながりますように願っています。
持病がない、薬を飲んでいない、アレルギーがない・・・
という「何もない」ことも
緊急時には大切な医療情報なのです。by救急医談
「こどもまもるカード」は病気のある子だけが持つものではありません。
すべてのお子さんに
「こどもまもるカード」を
いつも携帯するようにしてほしいと願っています。
大切な子供たちを
もしもの緊急事態からまもるために。
もしもの緊急事態は、誰にいつおきるかわかりません。
目を背けず、
ちょっとしたことでも
備えるだけで、ママの心強さに変わります✊
熱中症など急病への備えとして、
災害への備えとして
アレルギーのある子の表示カードとしても。
皆さまの周りの方にもぜひぜひおススメください💓
友達みんなで、
家族みんなで、「まもるカード」を備えましょう✊