9月9日は救急の日でした。
普通はあまり考えることがない「救急医療」についても
時には考えてほしいと、
「救急医療」で命を助けてもらった私は思いまして、
それで、私の体験談をお話することで
実際の救急現場のこと、
生死がかかった緊迫した中での患者の気持ち、家族の気持ち・・・
そこから何か受け取ってもらえるかもと思いこの連載を書いています。
自分が死にかけた時のことは、
何年経っても、自分にとっては生々しいことで、、、
思い出してはドキドキしながら書いています。
ではさて、久しく書いていませんでしたが、
高度救命救急センターのICUに入院した時のこと
続きを書いていきたいと思います。
まさか自分が高度救命救急センターに運ばれるなんて・・・
誰だって想像しませんよね。
現実に「まさか」が起きてしまった私。。。
ICUのベッドに入院したところから。
命の最後の砦といわれる「高度救命救急センター」の
ICU【集中治療室】は、
大きな部屋でした。
ベッドが壁際にならび、部屋の中央にデスクがいくつもならんで
医師たちはそのデスクを拠点に、いつも忙しそうに走り回っています。
窓も明かりとりぐらいに天井近くに横長の窓ガラスがあるだけで
外の風景などはまったく見えません。
その窓の外は、
救急車が止まるスペースになっていて
ひっきりなしに、救急車のサイレンがやってきます。
私のベッドは薄いカーテンで仕切られ、足元の方だけが見える感じ。
隣の患者さんがいるのはわかるけど、顔や姿は見えません。
私の左手首の動脈には、Aラインと呼ばれる管が刺さり
そこから血圧を測定して、頭もとにあるモニターに
心電図と一緒に映し出されています。
私は寝たままで動けないので、見えないのですが、
そのモニターがずっといやな警報音を立てていました。。。
私は、それまで
「救急病院」とは、応急処置をする病院だと思っていました。
重症患者が運ばれる「高度救命救急センター」であっても、
命に関わる状態をなんとか回避する治療を行い、
3〜4日もしたら
一般病棟に転棟するものだと思い込んでいました。
みなさんはどうですか?
考えたことありますか?
この解釈は大きくは外れてないのですが、
命に関わる状態が回避できないことには、つまり命の危険がなくならないと
一般病棟に転棟できないのです。
私はすぐに一般病棟に上がれると思って、
「救命センターの、この24時間サイレンや警報音に包まれた恐ろしい環境も、3〜4日ほどの辛抱だ」と思っていたのに・・・
救急車で搬送された6月26日から、
長く長く高度救命救急センターでの死闘が続くことになりました。。。(涙)
ICUのベッドでの私はしんどくてしんどくて、すぐにうつらうつらしてしまいます。
肝性脳症の症状です。
(肝臓が極限まで悪化しているので、
排せつされるべき毒素が体内をめぐり、脳に障害を起こします。
その時の私の検査値は「意識不明になるのが普通」の超悪い数値でした)
意識が薄れてきて眠っていると、
ナースが来て、容赦なく私のまぶたをパカっと開き、
目玉にペンライトを当てるのです。
あの、ドラマで時々見る
”死亡したかどうかをチェックするアレ”と同じです。
ICUでは2時間おきぐらいにずっとそのペンライトで瞳孔チェックをされていました。
しんどくても眠れるものじゃないです。。。
そして、24時間ひっきりなしに救急車がやってきて
重症者が運び込まれ病棟中に緊張感が走ります。
緊張感と同時にスタッフ(医者やナース)も
大きな声で指示を出しながらドタバタ走ります。
そして患者さんのうめき声、
意識のない患者さん達の痰を吸い出すゴーゴーという音、
あちこちのベッドで鳴っているピコピコ、ピーピーという機械の警報音・・・
時には、患者さんが発狂し奇声を発している。。。
眠れるわけがない。
意識がある私は、
高度救命救急センターのこんな環境の中で
生死をかけた死闘がスタートしていました。
≪1つ前の話『処置室からICUへ』
≪その前の話 【高度救命救急センターに運ばれる直前の話】
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