救急の日がある9月には書きたいな・・・と思いながら
なかなか書けなかった
私このブログ管理人の闘病記でもある
「まさか・・・私がこんなことになるなんて・・・」高度救命救急センターの中の話を
書いてみようと思います。
ちょっと思い切らないと、
闘病時の救急病棟の中にすーっと心が戻ってしまって
書く手が止まってしまうんです。
高度救命救急センターで命を助けてもらった私。
誰もが「救急病棟で生きるか死ぬかの状況に陥るなんて他人事だろう」と、思ってしまうと思います。
「まさか私がこんなことになるなんて・・・」というのが私自身の正直な気持ちでした。
でも、人生
「まさか」が
起きてしまうんですよね。
まだ20代のころ、
大学院を修了したばかりの当時の私は、
ある日
真っ暗闇の地獄の入り口のような状況に陥りました。
死と隣り合わせ。
死に神が頭の周りをぐるぐるまとわりついているように感じ、
恐ろしくて恐ろしくて、
そして、
死ぬのが怖くてたまりませんでした。
「まだまだ何もできてない。」
大学院での研究も途中だったし
(SLEという難病を発病してしまい研究を途中で断念したばかりでした。
SLEの治療中に続けざまに病気がでて、結局、治療薬が原因とみられる薬剤性劇症肝炎を発症してしまったのです)、
就職も、
結婚も、
出産もしてないし、
社会の中で成長していかねばならない
これから・・・というような年頃で、
死んでしまうなんて
悔しくて
悲しくてたまりませんでした。
「私には生きた証が何にもない・・・。何も残せていない。」
そんな悔しさと悲しさと、苦しさと恐怖で
頭の中がぐるんぐるんしながらも、
私は、
救命センターの中の小さなベッドに寝かされて、
管をいっぱい刺されて身動きできない状況。
血液検査の数値も、
CTなどの画像検査の結果も、
どれをとってもきわめて重症、
いつ死んでもおかしくないような状態だったのに
意識だけは、どうにか保てていたのです。
意識があるというのは、
ありがたい反面
来る日も来る日も
死の恐怖と、後悔と、悔しさと、悲しさと、さみしさと・・・・
もろもろの葛藤が渦巻きながら
身動きとれない状況を耐えねばならないのです。
耐えながら、
私は
ずっと救命救急センターの中の様子を見ていました。
なぜ高度救命救急センターに入るようなことになったのか・・・については、
以前の記事もご覧くださいね(こちらが連載の1回目です)≫
前回、私の隣のベッドに、
ストレッチャーに乗せられた 全身真っ赤な 人( or 子供?)が
サーっと連れてこられたというところからです。
前回はこちら>
連れてこられた人が、
なぜ真っ赤なのか、
なぜ全身赤いのが私の目に見えたのか(つまり裸だったのか・・・?)という
疑問を抱え、
私は、おとなりの様子をうかがっていました。
数分あとに、
私の担当医であった免疫内科のO先生が
左の方から白衣をひらひら※させてながら走ってやってきて
「吉野さん、うるさくしてごめんねぇ」と優しく一声かけてくれて、
その私の右隣さんのところへ向かいました。
※「白衣をひらひら」も、ちょっと注目!
高度救命救急センターの医師や看護師は、みな(当時その病院では)緑色のスクラブという手術着的なものを着ています。(<ドラマでよく手術シーンや救急医が着ている緑や紺色のアレです)
白衣の医師は他科からやってきた先生であることがほとんど(例外あり)、目立ちます。
そして、
私は「なんで、O先生が来たのかなぁ〜」とぼんやり。
隣とは薄いカーテン一枚でしきられただけなので、
姿は見えなくても 処置の音がカチャカチャと聞こえてきます。
(どうせ私も身動きできず、天井を見つめるか、ベッドの先に目をやるかしかできないのです)
若い医師が
「O先生、小脳梗塞でN救急病院から搬送された●●さん、37歳女性です。
高血圧で降圧剤を服用あり」と、O先生に伝えています。
「え、女の人やったんや。私より10歳年上かぁ」と、思っていると、
若い医師は続けて
「SLEで当病院の皮膚科にかかっていたので、市内のN救急病院より転院依頼があったようです。」
私の頭の中>
「えっ、SLEの女の人やの?私と同じ病気で、それで今度は小脳梗塞したんや。
まだ若いのに、、、
それに、まだ37歳やのに高血圧になってたんや、、、
ステロイドの副作用で高血圧になってたんかなぁ・・・。
全身真っ赤なのは、SLEの皮膚症状やったんかなぁ・・・。
あんなヤケドみたいになるのぉ・・・?」
私自身も肝性脳症※で
毒素によって極端に思考がのろくなっていきている頭でも、
同じ病気の人がまた大きな病気をして
この命の砦に、
「意識不明になって運びこまれている」ということに
大きな衝撃を受けました。
※肝性脳症・・・肝臓が極度に悪化すると肝臓で分解できなくなったアンモニアなどの毒素が体内を回り、脳に障害を起こします。傾眠、幻覚、意識障害などの症状、そのうち昏睡になります。
私が、もし
いまのこの病気(=薬剤性劇症肝炎)をなんとか乗り越えて、
生きて家に帰ることができたとしても、
またSLEが悪くなったり、
このお隣さんみたいに
ステロイドから来る副作用が原因の他の病気がでて死ぬ目に遭うのかも・・・と
不安でたまらなくなりました。
ここの苦しい環境の中、死の恐怖を耐えて、
苦しい治療をいっぱいして、
怖い思いを我慢したって、
またこんな恐ろしい思いを繰り返すことになるなら・・・
家族に心配ばっかりかけることになるのなら・・・
いまこの病気と闘うより、
いま頑張らなかったら
ずっと楽になれるんじゃないかと
そんな悪の声が耳元でささやくのです。
救急病棟の中で、意識があるということは、
生きるか死ぬか、
毎日、いや、
毎時間、
毎分、
毎秒
そのことで頭がいっぱいです。
お隣のSLE 37歳女性は、まったく意識がないようです。
救急処置が終わって
一段落したのちも、
次の日も
私の右隣のベッドから気配は感じませんでした。
人の観察をしてる余裕は私にないので、
それ以降のお隣さんの記憶はありません。
私自身が日に日に
命の峠 !? 断崖の谷の奥深くへと 転がり落ちていくようでした。
>つづく
長かったですね。最後まで読んでいただきありがとうございました(#^^#)
【この連載が小説になりました!】
山中まる著『救命率2%未満』Amirai出版部
Amazonkindleで読めます。
【関連する記事】