2017年10月25日

【高度救命救急センターの中】搬送されてきたお隣の患者さん、気になる正体〜まさか私がこんなことになるなんて…〜

救急の日がある9月には書きたいな・・・と思いながら
なかなか書けなかった

私このブログ管理人の闘病記でもある
「まさか・・・私がこんなことになるなんて・・・」高度救命救急センターの中の話を
書いてみようと思います。

ちょっと思い切らないと、
闘病時の救急病棟の中にすーっと心が戻ってしまって
書く手が止まってしまうんです。



高度救命救急センターで命を助けてもらった私。


誰もが「救急病棟で生きるか死ぬかの状況に陥るなんて他人事だろう」と、思ってしまうと思います。



「まさか私がこんなことになるなんて・・・」というのが私自身の正直な気持ちでした。

でも、人生

「まさか」が

起きてしまうんですよね。


まだ20代のころ、
大学院を修了したばかりの当時の私は、
ある日
真っ暗闇の地獄の入り口のような状況に陥りました。

死と隣り合わせ。

死に神が頭の周りをぐるぐるまとわりついているように感じ、

恐ろしくて恐ろしくて、

そして、
死ぬのが怖くてたまりませんでした。



「まだまだ何もできてない。」

大学院での研究も途中だったし
 (SLEという難病を発病してしまい研究を途中で断念したばかりでした。
 SLEの治療中に続けざまに病気がでて、結局、治療薬が原因とみられる薬剤性劇症肝炎を発症してしまったのです)、

就職も、
結婚も、
出産もしてないし、

社会の中で成長していかねばならない
これから・・・というような年頃で、

死んでしまうなんて
悔しくて
悲しくてたまりませんでした。



「私には生きた証が何にもない・・・。何も残せていない。」




そんな悔しさと悲しさと、苦しさと恐怖で
頭の中がぐるんぐるんしながらも、

私は、
救命センターの中の小さなベッドに寝かされて、
管をいっぱい刺されて身動きできない状況。




血液検査の数値も、
CTなどの画像検査の結果も、
どれをとってもきわめて重症、
いつ死んでもおかしくないような状態だったのに

意識だけは、どうにか保てていたのです。


意識があるというのは、

ありがたい反面
来る日も来る日も

死の恐怖と、後悔と、悔しさと、悲しさと、さみしさと・・・・


もろもろの葛藤が渦巻きながら

身動きとれない状況を耐えねばならないのです。



耐えながら、

私は

ずっと救命救急センターの中の様子を見ていました。




  なぜ高度救命救急センターに入るようなことになったのか・・・については、
  以前の記事もご覧くださいね(こちらが連載の1回目です)
  【高度救命救急センターの中へ】〜まさか、私がこんなことになるなんて・・・〜






前回、私の隣のベッドに、
ストレッチャーに乗せられた 全身真っ赤な 人( or 子供?)が
サーっと連れてこられたというところからです。

前回はこちら>




連れてこられた人が、
なぜ真っ赤なのか、
なぜ全身赤いのが私の目に見えたのか(つまり裸だったのか・・・?)という

疑問を抱え、
私は、おとなりの様子をうかがっていました。


数分あとに、
私の担当医であった免疫内科のO先生が
左の方から白衣をひらひら※させてながら走ってやってきて


「吉野さん、うるさくしてごめんねぇ」と優しく一声かけてくれて、

その私の右隣さんのところへ向かいました。



※「白衣をひらひら」も、ちょっと注目!
高度救命救急センターの医師や看護師は、みな(当時その病院では)緑色のスクラブという手術着的なものを着ています。(<ドラマでよく手術シーンや救急医が着ている緑や紺色のアレです)
白衣の医師は他科からやってきた先生であることがほとんど(例外あり)、目立ちます。




そして、
私は「なんで、O先生が来たのかなぁ〜」とぼんやり。




隣とは薄いカーテン一枚でしきられただけなので、

姿は見えなくても 処置の音がカチャカチャと聞こえてきます。

(どうせ私も身動きできず、天井を見つめるか、ベッドの先に目をやるかしかできないのです)





若い医師が
「O先生、小脳梗塞でN救急病院から搬送された●●さん、37歳女性です。
高血圧で降圧剤を服用あり」と、O先生に伝えています。




「え、女の人やったんや。私より10歳年上かぁ」と、思っていると、

若い医師は続けて

「SLEで当病院の皮膚科にかかっていたので、市内のN救急病院より転院依頼があったようです。」






私の頭の中>

「えっ、SLEの女の人やの?私と同じ病気で、それで今度は小脳梗塞したんや。

まだ若いのに、、、

それに、まだ37歳やのに高血圧になってたんや、、、

ステロイドの副作用で高血圧になってたんかなぁ・・・。

全身真っ赤なのは、SLEの皮膚症状やったんかなぁ・・・。

あんなヤケドみたいになるのぉ・・・?」



私自身も肝性脳症※で

毒素によって極端に思考がのろくなっていきている頭でも、



同じ病気の人がまた大きな病気をして

この命の砦に、

「意識不明になって運びこまれている」ということに

大きな衝撃を受けました。

※肝性脳症・・・肝臓が極度に悪化すると肝臓で分解できなくなったアンモニアなどの毒素が体内を回り、脳に障害を起こします。傾眠、幻覚、意識障害などの症状、そのうち昏睡になります。



私が、もし
いまのこの病気(=薬剤性劇症肝炎)をなんとか乗り越えて、

生きて家に帰ることができたとしても、

またSLEが悪くなったり、

このお隣さんみたいに

ステロイドから来る副作用が原因の他の病気がでて死ぬ目に遭うのかも・・・と

不安でたまらなくなりました。



ここの苦しい環境の中、死の恐怖を耐えて、
苦しい治療をいっぱいして、
怖い思いを我慢したって、
またこんな恐ろしい思いを繰り返すことになるなら・・・

家族に心配ばっかりかけることになるのなら・・・


いまこの病気と闘うより、
いま頑張らなかったら
ずっと楽になれるんじゃないかと

そんな悪の声が耳元でささやくのです。


救急病棟の中で、意識があるということは、
生きるか死ぬか、
毎日、いや、

毎時間、
毎分、
毎秒

そのことで頭がいっぱいです。





お隣のSLE 37歳女性は、まったく意識がないようです。


救急処置が終わって
一段落したのちも、
次の日も
私の右隣のベッドから気配は感じませんでした。


人の観察をしてる余裕は私にないので、
それ以降のお隣さんの記憶はありません。


私自身が日に日に

 命の峠 !? 断崖の谷の奥深くへと 転がり落ちていくようでした。






>つづく

長かったですね。最後まで読んでいただきありがとうございました(#^^#)





<前回 【高度救命救急センターの中】タンパク&脂質制限+食物アレルギーが多い私の病院給食の話〜まさか私がこんなことになるなんて…〜


<前々回 【高度救命救急センターの中】救命センターで「ごはん」どうするの??〜まさか、私がこんなことになるなんて・・・〜











<ひとつ前の記事
幼稚園の皆様より嬉しいメッセージをいただきました!







2016年09月24日

【高度救命救急センターの中】タンパク&脂質制限+食物アレルギーが多い私の病院給食の話〜まさか私がこんなことになるなんて…〜

「まさか・・・私がこんなことになるなんて・・・」という題で
連載をしています私の闘病話(滅多に更新できてないのですが・・・)の続きです。


高度救命救急センターで助けてもらった私。

  なぜ高度救命救急センターに入るようなことになったのか・・・については、
  以前の記事もご覧くださいね(こちらが連載の1回目です)≫
  【高度救命救急センターの中へ】〜まさか、私がこんなことになるなんて・・・〜


ざっくり言えば
治療薬(病院から処方されていた薬)が原因の
「薬剤性劇症肝炎」になってしまったのです。


高度救命救急センターに搬送されて

ICU(集中治療室)のベッドでどうにか息を続け・・・

数日が経っても・・・、




給食がでない(T_T)


「やっと出てきた病院給食を見て、私はビックリっ!!!」
というところで前回は終わりました。
前回はこちら>


その続きです。



何にビックリしたのか・・・。

その前に、私のこの病院給食メニューは「栄養士さん泣かせ」でした。

理由は大きく3つ
 ↓ ↓ ↓
●極限までタンパク制限をせねばならない。(1日30g未満)
(劇症肝炎のため、肝臓が委縮してしまいタンパク質を処理できない状態だったのです)

●脂質制限
(タンパク質と脂質が制限された中で必要カロリーを確保するメニュー作りは難しいことでしょう…)

●多品目に食物アレルギーがある。
(エビ、カニなどの甲殻類全般。そば、いちぢくなど)


このような制限のもと、栄養士さんによって
編み出されたメニューで
調理師さんによって調理され

私の前に、出てきた給食は、

タンパク制限の影響が大きく

「おかず」がものすごーーーく少ないものでした。


おかずの少なさにも目が飛び出すかも・・・(笑)



しかし、私を驚かせたのは「おかずの少なさ」ではありませんでした。


数日間、絶食していた私、

ひん死で意識ももうろうとしている私の目の前に、

「大きなどんぶりにいっぱいの真っ白なごはん」が

デーンと配膳されたのです!!!


普通さ、
家で風邪ひいて熱出て寝込んだというだけでも、
「おかゆ」とか消化のよいものになるでしょ。
なりますよねぇ・・・

私は、それまでに、
何度か入院経験がありましたが
入院したばっかりで病状の悪いときは、
必ず「おかゆ」が出されていました。


それなのに、
いままでの入院よりもさらに病状が悪いのに・・・
「山盛りのどんぶり飯」がでーーんと出てきて、本当にビックリしたんです。

口に運ぶ以前に、
まず、どんぶりは重たくて
持てないし・・・(T_T)

「ほんまに、食べさせる気あるのかぁ・・・」と泣きそうです。

でも、泣いてたって、
生きられないので、
ここは若い医者を捕まえて
「おかゆに変えて!」ときっぱり言いましたよ!!!


「あほちゃぅ!!!普通おかゆやろー!」と、
苦情を言ったかどうか・・・は記憶が定かではありませんが・・・


もちろん、ひん死の状態で、意識もボヤ―っとしているので
「食べなくちゃ」という気合いだけで
食べようとしているので、

味はぜんぜんわかんないし(味覚もパーになってました)、
のどは通らないし、
美味しいかどうかとか、
おかずがどうのこうのと言ったことは
まったく関係なかったのです。

とにかく「食べ物を口に入れなきゃ」と頑張っていました。
「食べること」は生命活動の最も基本だと、
生きるためには口から食べなくちゃいけない!と
「食べる」ことに真剣だったのです。


やっとこさ出てきた私の給食は、
白ご飯から、おかゆに変更させるために、
またまた中断になってしまったのです(T_T)


おかゆにすると、カロリーが足りなくなって、
すべての献立を作り直さないといけなくなったはずです。
またまた栄養士さんも泣いていたことでしょう。
すみません。

でも、
そうは言っても、こっちは命がかかってますから。

「生きて退院すること」が私の周りを支えてくれている
すべての医療関係者のみなさんに対する恩返しなんや!と思って

心を鬼にして、言うべきことは言う!いいました!
生きるためにはなよなよしていられません。



そんな感じで、おかゆに変更されるため
引き上げられた給食のトレーを
うらめしげに眺めていたら・・・、


急患の騒々しさがやってきました。

近くを大勢の医者やナースが行ったり来たりしてると思ったら、


さ―――っと、
私のベッドの前を、
全身真っ赤な人を乗せたストレッチャーが、
左から右へと横切りました。


「えっ!患者さん、なんで、全身赤いの?」

「ヤケドしたの?」

「めちゃ細かったけど、子供かなぁ・・・」

チラリと見えたその真っ赤な人は、
お隣のベッドに新しく入院になったようです。

高度救命救急センターは、他の病院では救命できないような重症者が
毎日、たくさん運ばれてきます。
ICUのベッドは、薄いカーテンで仕切られているだけ。
この新しいお隣さんのことも気になります。



≫つづく


==========
食物アレルギーに関しては、、、
かなりやばい話があるのですがここでは控えておきます。
ひとことだけ言えば「病院給食も油断禁物ですよ」



≪前回「【高度救命救急センターの中】救命センターで「ごはん」どうするの??」

≪その前の回「【高度救命救急センターの中】ICUのベッドで」



長かったですね。最後まで読んでいただきありがとうございました(#^^#)



<ひとつ前の記事
今年も「おはぎ」作りました!塩分控えめ&7大アレルゲン不使用です

2016年06月28日

【高度救命救急センターの中】救命センターで「ごはん」どうするの??〜まさか、私がこんなことになるなんて・・・〜

私ブログ管理人の闘病話を久々に書きたいと思います。


「救急医療」で命を助けてもらった私は、
私自身の体験談をお話することで

普段は考えないであろう「救急医療」についても考えていただければと思い

実際の救急現場のこと、
生死がかかった緊迫した中での患者の気持ち、家族の気持ち・・・
いろいろ・・・
実際に経験した話を書かせてもらおうと思います
【滅多に更新しないのですが連載です!】




前回、ICUの中のことを少し詳しく書きました。
前回はこちら≫【高度救命救急センターの中】ICUのベッドで 〜まさか、私がこんなことになるなんて・・・〜


その続きです。

救命センターの中、ドラマとかで見たこともあると思いますが
ICU(集中治療室)に入院中の患者さんって
意識がなかったり、すごいケガとかで身動きできなかったり・・・と思いますよね。

まさに、そんな感じで
一般病棟と違い、患者さんみんな意識ない人が多く
ベッドから動けない人ばかりです。




そんな患者さんって
  「ごはん」どうするの?



と、

考えたことないと思いますが、


どうしてると思いますか?




「点滴」でしょ!?

死にかけてる患者さんなんだったら、
食べられないよねー


と、思われた方が多いと思います。




確かに、ご想像の通りです。


私もICUに入院した直後に、
右の鎖骨の下にある大きな静脈に
太い点滴用の留置針を刺されまして、
さらにその針が動いて外れないように、皮膚に糸で縫い付けられていました。

(痛そうでしょー( ;∀;)  でもあんまり痛くなかったです。
その時は、他が大変なのと、意識も朦朧(もうろう)としているので
太い針の一本や二本や三本・・・なんてことありません。)



その太い点滴用の針から、
高栄養の点滴がつながっていました。


多くの方が体験したことがあるであろう
普通の点滴は、
腕(ひじから下の部分)に、針を刺して点滴をすることが多いと思うのですが、

食事代わりともいえる、高栄養の点滴は、
液体の濃度が濃いので、
太い静脈から入れないと血管が詰まっちゃうんですって。

だから、首の近くの太い鎖骨下静脈から点滴を入れるのです。
(理由は理解して必要なのことはわかっていますが、
正直なところ、
ここから太い管が出てると、かなりうっとおしいです<患者の声)






しかし、、、
私は意識があったので

「食べなくちゃ、生きられない」

という、一心で

ベッドの周りにいるお医者さんやナースに

「ごはん食べたい」「給食まだでないの?」と

頻繁に声をかけていました(笑)



それまでに、数回入院経験があったのですが

入院中に、
つくづく
人は口からごはんを食べなきゃだめだと
思っていました。


普段、家で生活できているときは
「ごはん食べなきゃだめだ、生きていられない」と感じることはまずないと思います。


でも、入院時、
様々な症状で
食事が摂れなくなっていると感じるんですよね。


「人は口からちゃんと食べなきゃだめ」って。


「食べる」行動=「生きる」です。


まず、「食べよう」と思う意欲。
実際に口に食べ物を入れて、歯で噛み、飲み込む。
そして胃や腸で消化吸収する。
残りは出す。

この一連の動作、行動こそが
「生きる」ことだと思います。

動物、生命体としての基本、
「生きる」の原点だと思います。


高度救命救急センターのICUのベッドで
身動きできないその当時の私も
「食べる」ことで、
生命力が復活していくのだと思ったのです。

どんなにしんどくても、
「食べる」をおろそかにしてはいけない。

命がけで「口から食べなくちゃ」」
「生きるために、食べなくちゃ」と思いました。



でも、私じつは、子供のころから食物アレルギーが多いのです。
(えび、かに、いか、たこ、貝などの甲殻類、そば、イチジク・・・)

そのうえ、肝臓が極度に悪化しているので、
厳しい肝臓病食(タンパク質、脂質制限がありました)
でないといけない。


献立を考える病院給食科の管理栄養士さんは
ものすごく苦労したことだと思います。



そして、
すぐに意識がなくなるだろうと医療者から思われていた私は
医者たちの予想を覆し、
意識を保ったまま、ICUの生活が続き

毎日通りかかる医療スタッフに
「ごはん食べたい。食べな死ぬーー!早く給食だしてーー!」と訴えていたのです(笑)

そして、救命センターの担当医と、給食科の栄養士さんとの
綿密な献立調整の末、
数日後にようやく給食が出されたのです。



ナースが持ってきてくれた給食を見て、
私は
びっくり!


なにに驚いたのか、
嬉しかったのか、
はたまた「ゲっなんやこれ!」と思ったのか・・・、

この続きはまた次回に!



つづく≫


<前の話『ICUのベッドで』

<その前の話 『処置室からICUへ』






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