2023年11月07日

【連載】難病SLE患者が大腸憩室炎をこじらせた闘病記(8)管理栄養士さんから教えてもらった『食品成分表』の本

こんばんは!

なんか季節外れの暑さだったり、やっぱり朝晩は寒かったりと、変な気候ですが、皆様お元気ですか?
私は、先週通院がありまして、その後にぐったり・・・
3連休はきっちりバテてしまっていました(T_T)

昨日ぐらいからちょっと回復♪
なんとかやってます。


さて、「大腸憩室炎の手術をした話」の連載を読んで下さっている方もいらっしゃると思いますが、

その退院時に、管理栄養士さんから食事指導があったんです。




大腸(S状結腸)を20センチほど切除したあとだし、
それに、その手術時にストマ(人工肛門)を作っていたので
家に帰ってからの食事の注意について、
管理栄養士さんの指導がありました。

大きな目標の一つは、
激減していた「体重を戻したい!」ということ。

退院が11月4日で、
3ヵ月後ぐらいにもう一度手術、次はストマを閉鎖する手術が計画されていました。

それまでに、体力を戻さねばということで、
「あと4キロ〜5キロは太ってね!」という目標が立てられました。


私の人生において、(ステロイドを飲み始める前も含めて)

「やせたい」は、常に頭の中にあって、「ダイエット」が日常でしたが、

はじめて「太らねば」という状況になりました。


珍しい状況に、なんだか、こそばゆい(^^;)


ちなみに、

確かに、体重は激減なんですけど、

体型がおかしなことになってしまって・・・(涙)


手術したお腹が、ずーっと膨らんでるんですよ。

他は全身、腕も足もゲッソリ細くなってて、おしりも消えたんですけどね・・・(涙)

お腹だけぽっこり。


手術前よりもぽっこり。


腸が切られて怒ってるのかなぁ・・・、それで腫れてるんかなぁ・・・とか思ってました。

(おかげさまで、数か月したら治まりました)




さて、

「体重を増やそう!」と言われても、

「食べて良いんだよ!」と、言われても、

手術前もだけど、手術後もあまり食べられないんです。


その年(2021年)の1月から10ヵ月間ほど、あまり食べられないという月日を過ごしていたので

手術してからも、胃腸が食事を少しずつしか受け付けられないみたい。


家に帰ったら、精神的にリラックスして、家なら好物も手に入るし
「ゆっくり食べられるようになるかな〜」って感じで楽観的だったので、
とりあえず、食べられるようになるまでは、
一日に何度にも分けて、少量ずつ食べるようにしました。


その退院時の食事指導をしてくれた
管理栄養士さんは、
若くてかわいい女性で、

病棟担当だったので、入院中にも
なんどもお話に来てくれていました。




それで、退院時の栄養指導では、
「食品成分表」の大きな本を持ってきて、
私に必要なプリントも印刷してくれていて、
とっても親切。

丁寧に説明してくれて、

前回の連載にも書きましたが、

「食物繊維の多い物は、ダメ」
「豆やコーンなど粒をそのまま食べるものは、ダメ」
「キノコ、海藻類、ダメ」

とか、注意されたかな〜

あとは、私は貧血がひどかったので、
貧血に効く食事とか
(でも、食事ではあまり改善が見込めないらしいです<医師)


カロリーを上げられるし、食べやすいものとして、
アイソカルゼリーとかいう
病院の給食にもついてきていた
カロリー補助食品も教えてもらったり。

↓こんなの↓(Amazonで売ってます)

メイバランスとか↓(Amazon)


普通のスーパーでは売ってない、特別な便利食品が病院では使われていますね。
介護とかでも利用されていると思います。
入院すると、知らないことをいろいろ教えてもらいます。



それで、

退院が11月4日だったでしょ。


ということは、
お正月が迫っていたので、

私>「お餅って、食べて良いの?」と、聞いたところ、

栄養士>優しくいい笑顔で「お餅もやめときましょう(禁止)」と。


私>「そっかぁ。じゃ、次、「干し柿」は?好きなんだけど・・・、どう?」

それも、

かわいい顔で

栄養士>「美味しいですよねー!でも、あれは繊維が多いからねぇ」といいながら

こちらの『食品成分表』を見せてくれて、

DSC_2307.JPG


栄養士>「今年はやめときましょう(禁止)。また、ストマが取れたら食べられるから」とニッコリ


私>「はーい・・・(^^;)」



でも、正直なところ、食べ物の制限が多少あったところで、私はなんともありませんでした。

もう、食事がまったく食べられない期間が長かったから、ほんまに命の危険を感じるような入院だったから、

「生きて家に帰れて、母の手料理を食べることができる」
「家の暖かなベッドで眠れる」

そんな、ありがたいことに感謝でいっぱいだったので、


正月に餅がなくても、
甘い干し柿が食べられなくても、
鍋に、白菜やキノコがなくても、
お肉が食べられなくても、

なんともありません。


ただ、家に帰ってからも、

次の手術のことと、小腸についたストマの管理の事で頭がいっぱいでした。


次の手術を考えるとかなり憂うつだったんですけど、

とにかく手術に向けて、
体重を増やさねば!との気持ちで、食べて太ろうと頑張っていました。



家に帰ってから食事についてよく考えるようになったら、

管理栄養士さんが手にしていた「食品成分表」の本が欲しくなって

Amazonでポチり。



こちらです↓

DSC_2309 (1).JPG


管理栄養士さんからいただいたプリントを見ながら、
DSC_2308.JPG
(↑栄養士さんからもらったプリントが挟まっています)


本をめくりめくり、食品成分を調べながら、「食べたいもの」、「食べられるもの」を選んで

食事を考えるようになりました。


この本、眺めてるだけでも楽しいんですよ♪


それに成分表を見ていたら、

「この食品にこんなに繊維あるの?」「こんなに脂質あるの?」とか、

新しく知ることが多くて、付録も面白いし。



その後(その翌年:2022年)に、私は総胆管結石にもなりまして(涙)

その退院時からも、この本のお世話になっています。



制限食や、食事についてちょっと深く考えたいな、知りたいなという時には
この本、見やすくておもしろいので
オススメです!

食事は大切!
体を作ってくれるものだから、今日食べたものが、明日か明後日か来週か?近い未来の自分を構成してるんだもんね。


「医食同源」


食べるものに注目してみるべきやな〜っと、

病気で食べられない状態になると、特に強く思うのでした。


皆さんも、ごはん美味しく食べてね!







長くなりましたが、読んで頂きありがとうございました。
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2023年10月10日

【連載】難病SLE患者が大腸憩室炎をこじらせた闘病記(7)喜びの帰宅。でも、大変な事が待っていました。

こんばんは!
3連休終わってしまいましたね・・・。ゆっくりできましたか?

さて、久々に連載の続きを書きたいと思います。
2年前の10月は大きな手術をして、大変でした。そのお話の続き。

前回はこちら>
話は、2年前(2021年)

9月中旬に入院し、10月21日に手術して、11月4日に退院できました。

退院して家に辿り着きましたが、
大きな手術をして、私のお腹には小腸にイレオストミーという人工肛門(ストマ)がついていました。
体もゲッソリ。
小学生以来の30kg台まで体重が落ちてしまっていました。

この闘病で、体は変わってしまったけど、
「もう、家に帰ることができないのではないか……」と、
何度も何度も感じていたことを思えば

生きて家に帰れた喜びは、ものすごーく大きかったです。

家の暖かさにどれだけ癒やされたか。



退院→喜びの帰宅。でも、大変な事が待っていました。

久々の家に帰るにも、病院から車で揺られて1時間ぐらい。
家に辿り着いたら、ぐったりです。

すぐにパジャマに着替えて、ベッドに横になりました。
あったかい〜
ふわふわ〜
幸せ〜

家のベッドの心地よさはたまりません。



しかーしっ!

一度、横たわると起き上がれない・・・


病院のベッドは電動リクライニング+手すり付きでしょ。

我が家のベッドは、電動じゃない普通のタイプ。

手すりもない。

お腹をバッサリとメスで切っているし、腹筋はどこかへいっちゃった。

まったく、お腹に力が入らない体を持ち上げるのは大変でした。



退院後の一番の悩み

大変な事は続きます。
前回の連載(6)で予告していましたが、

イレオストミーという人工肛門についているパウチを、
自宅では相談できるナースもいないから、
自分一人で、なんとかしないといけない。2〜3日に一度はパウチ交換が必要でした。


それが、
私が退院を急いだために(なぜ、退院を急いだのか?は連載の前の方を読んで頂きたいです)、
人工肛門がまだ落ち着いて無くて、
手術後、腫れていた人工肛門(の部分の小腸)が、
日にちがたつにつれて、
ジワジワと腫れがひいてきて、サイズが変わってきてしまったのです。

すると、パウチが外れ気味になったり、
つけにくかったり、
あぁ、もう大変。


冬だし、寒いし、お腹を出したまま、なれないパウチ交換に悪戦苦闘で大変でした。
パウチがうまくついていないと、
お腹の皮膚がただれてしまうのです。

真っ赤になってきて
ヒリヒリ痛いし、
その傷口から感染しないか心配だし、
排液が漏れたら大変だから、寝てても心配で安眠できないし、

あぁ・・・。ふぅ。

手術する前に

「小腸の人工肛門は、管理が難しいからねぇ・・・」と、

何人かの医師たちから予告されていたことを思い出していました。

小腸から出る排液は、水っぽいんです。
だから管理が難しい。とのこと。


「あぁ、やっぱり難しい。こんな状態で、ずっと生活でけへん(涙)
これから、どうなるんやろう・・・、
お腹の皮膚が化膿してグズグズになって大変なことになるんちゃう・・・。
私は抗生物質あまり使われへんのに(<薬アレルギーなのです)、どうしよう・・・、あぁ」

と、お先真っ暗で、

毎日、24時間ストマの事で頭がいっぱいになりそうなぐらい

不安を抱えながら、

どうにかこうにか1日、1日を過ごしていく感じでした。




そして、
ようやく退院後2週間がたち、
「ストマ(人工肛門)外来」という専門外来の予約の日が、やっとやってきました!

私の通院している病院には、幸い「ストマ外来」があり、専門ナースが外来で相談にのってくれるのです。

それで、困りすぎた私は、2週間も待てなくて、

その専門ナースに電話で状況を伝えて相談してたのですけど(退院時に困ったら電話して!と言われていたので)、

電話ではあまり改善できず、

外来の日を心待ちにしていたのです。


外来診察では、専門ナースが診察室でパウチ交換をしてくれて

ストマの状態をチェックしてくれました。


少し赤くなって皮膚がただれてしまっていたのですが、

専門ナースは、「これぐらいは全然平気!うまくできてるよ〜」って余裕の表情を見せて、安心させてくれて

そして、
ナース「やっぱり退院が早かったのよねぇ。ちょっと心配してたのよ」と。

本来なら、ストマの腫れがひいてサイズが落ち着いてから

違うタイプのパウチに替えて、

そして退院!



そうすると、そんなに苦労しなくて良かったらしい・・・

その説明を聞いて、
専門ナースにとっては想定内の状態だったことがわかり、

私「ま、一日でも早く家に帰りたかったから、この2週間めっちゃ大変やったけど、でも、解決できるなら、まぁいいや!」

と、不安が飛んでくれました。



それで、お試しで「新しいタイプのパウチ」に、専門ナースが付け替えてくれて帰宅。



すると、いままでの苦労がなんだったのか・・・というほど、
ぴったりしっくりきて、
その後は、私自身でのパウチ交換もどんどん上達し、
準備から片付けまで入れると小一時間ぐらいかかってたのが、
10分ぐらいでできるようになって、
なんの問題もなくなりました。



パウチが自分の体の状態にあったものを使わないと、ものすごく苦労する。
と、学びました。


退院後の苦労は、この問題が一番大きいものでした。


食事について。

手術するまでは、激しい腹痛で、ほとんど食事が摂れない状態でしたが、
人工肛門にしてもらったことで、
ゴハンが美味しく食べられるようになりました。

とはいえ、少しだけ「食事制限」がありました。

なんの制限かと言うと、
意外に思われるかもしれませんが、

「食物繊維の多い物はあまり食べないこと」


・海藻類
・キノコ類
・その他野菜とか

野菜類は、なんでも皮を剥き、繊維を断ちきるように
小さく刻んで調理するようにいわれ、
気をつけていました。

普通の体の時は、
「食物繊維は摂った方がいいよ!」と、よく聞くでしょ。
便秘解消や、ダイエット、美肌とかにいいと。


「食物繊維は、努めて食べなあかんっ!」と、ずーっと思っていたのに

手術してからは、


「食べるな」と言われ

かなり変な気分でした。


あとは、
・餅
・さつま揚げ、ちくわ等の練り物
・豆、コーンなど形をそのまま食べるもの

ぐらいだったと思います。

カレーとか刺激物もOKでした。

人工肛門になって良かったことは、どんどん食べても太らない!(<良いのか、悪いのか・・・。栄養摂れてないんちゃうん?)


私は、25歳というお年頃からSLE(全身性エリテマトーデス)という難病が発症し、
それから大量のステロイドを飲んで、副作用でガンガン太る(むくむ)、、、という体になってしまい

若い女性なのに、おしゃれもできず、
鏡を見るのもツライ生活に耐えていたので、

いつも食べ過ぎないように気をつけていたのですよね。


だから、

人工肛門になってから、食べたいだけ食べても太らないのは、

精神的には、とっても気持ちが軽くなり、ストレス解消になりました。


小腸に人工肛門がついているので、

食べたものが、大腸を通過しないので、太らないみたい。



太りやすい人は、便秘解消できたらそれだけでもけっこう減量になるのではないかな!と思いました。
お試しあれ〜。




退院後わずか4日で救急搬送・・・

さて、話が戻りますが、
11月4日に退院したのに、

実は、11月8日朝6時。
私は深夜から猛烈な痛みに襲われて、朝まで我慢したものの、耐えきれず
救急車を呼んで、4日前まで入院していた病院へ搬送されたのでした。


まさか、手術したところ大腸が、どうにかなったのか・・・

また再手術とかなったらどうしよう・・・

とか、不安がよぎりましたが、


痛くてたまらないけど、
救急搬送されながら、

なんとなく「今回は、家に帰れそう」な気分が沸いていました。
ぼんやりした、根拠のない、自分の中でのふんわりした思いでしたが。


救急についたけど、朝6時はまだ当直医しかいなかった。
救急専門医ではなくて、内科の若い先生でした。
私は痛みにもだえながら診察してもらいましたが、
血液検査では、肝臓あたりの値が少し揺らいでいるぐらいで目立った異常がない。

激痛を抑えるために痛み止めの点滴を打ってもらい、
しばらくすると痛みが治まってきました。

腹部エコーで、胆石があることが確認されるが(元々、私自身では胆石あることを知っていたので驚かず)
胆石が詰まっている様子はない(胆嚢炎までにはなってない)
ということで、

当直医は「痛みも落ち着いてきたようだし、様子見ましょう」と。


原因はハッキリしないけど、
私は、痛みを抑えてもらったことだし、早く家に帰りたいし(入院は、もうこりごりだったので)

救急搬送された時の

「パジャマ+スリッパ姿」でタクシーに乗りこみ、

再び家に帰りました。


それからも激しい痛みは、何度も繰り返し、
その都度、痛み止めのカロナールなど飲んで、ごまかしていました。
退院後、すぐに外科、内科、と外来診察があったので、
その都度、複数の医師たちに、その激痛について何度も伝えていたのですが結局、原因不明のままでした。

その痛みは緩くなったり、激しくなったり、

痛みの発生する間隔があいたりしながらも、

なんと、

2022年の夏まで9ヵ月間ぐらい続くのです・・・涙。



今でも原因はハッキリしませんが、

「アレ」が大きく関わっているのではないかな・・・と、思うこともあります。



2022年夏にERCP(内視鏡手術)をしてもらい、その術後が落ち着いてからは

現在はその痛みは感じなくなっています。





さて、大腸憩室炎の手術後に「大変だったこと」が、

いっぱいありましたが、

人間の体はすごい!エライ!

いろいろありながらも、乗り越えていってます。



なお、私のイレオストミー(人工肛門)は、
私がSLEの治療のために、
長年のステロイドユーザーだったため、
手術した大腸がひっつかない恐れがあったためにつけたもので、

持病がなかったりステロイドを使っていない患者さんは、
人工肛門にならないですむと思います。

それに、大腸憩室炎で手術するほど悪化することも少ないようです。
でも、こんなひどくこじらせるケースもあるし、
ステロイドユーザーは、憩室炎も悪化しやすいようなので、
憩室炎の疑いを持ったら、
早めに病院行って、検査してもらって
治療した方が、こんな目にあわずに治ってくれると思います。

あまり我慢しないでくださいね。




そして、私の場合も、大腸を休ませて手術した腸がしっかりとくっついた頃に
イレオストミーを閉鎖する予定でした。
大腸憩室炎の手術の一環として、このイレオストミーは、一時的な処置だったのです。



だから、次はイレオストミーを取り去る手術が待っていました。

そのお話はまた今度に。




長いお話になりましたが、読んで頂きありがとうございました。

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2023年07月08日

【連載】難病SLE患者が大腸憩室炎をこじらせた闘病記(6)食事開始やストマ管理、そして退院に向けて

前回は、憩室炎の手術後から痛みがひどくて、ひどくて、ひどい痛みの中、リハビリが始まった。というところでした。

大腸憩室炎という珍しくない病気なのに、とことんこじらせてしまい
外科手術しか手がなくなった私の闘病体験記を書くことで、
同じような状況に陥ってしまった患者さんのお役に立つことがあると思い、
詳しく書いています。

私が闘病中に「憩室炎の闘病を書かれた患者さんのブログ」は見つかるのですが
手術までなった方のは、見つからなくて、
お医者さんが書いた症例報告の難しいヤツを少し見つけて読んでいました。
あと、どこかの病院がアップロードしていた「手術に関する手引き?スケジュール表」みたいなもの。

そして、他の病気で大腸の手術をした方や、ストマを付けた方の患者さんのブログを読むことで
とても参考にさせていただきました。

手術の先、どうなるの。
どんなことするの?
患者は、不安なことがいっぱいです。

だから、私の闘病記も患者さんの勇気や励みになってくれたらいいなと思い、詳しく書きます。
この闘病記も、誰かのお役に立てたら幸いです。

術後、3日目ぐらいから鼻のチューブが取れて、飲水可になり、

10月24日(術後3日目)の昼から

ついに食事もはじまりました!

はーい!!!こちらが、術後はじめて口にしたごはんです。(昼ごはん)

例のごとく、流動食でございます。
20211024hiru.JPG


メニューに「アイスクリーム」と書いていますが、私、冷たい物を食べるとお腹が痛くなるので(憩室炎のせい)
アイスNGにしてもらっていたので、
代わりにゼリーがついていました。
ゼリーは常温になるまで待ってても溶けないので、少し食べられました。



そして、こちらがその日の夕ご飯。
あまり変わりませんが、

やはり流動食。
ちなみに卵苦手なので、卵豆腐は毎回残します。(だし巻き卵やスクランブルエッグは食べられるという、わがままな感じになってしまっています。が、子供の頃に卵アレルギーだったので、無理はしません)

ポタージュは美味しかった。
20211024yoru.JPG

で、次の日の朝。

はい。流動食です。
20211025asa.JPG

という感じで、流動食が続きます。

で、ですね。

手術で大きく変わったのは、

どうしようもないほど悪くなっていた
S状結腸を私の体から取り除いてもらったことと

そして、小腸と大腸をつなぐ部分(回腸という場所)に、人工肛門(イレオストミーやストマと呼ぶ)がついたのです。

人工肛門は、小腸がお腹の外に出されていてそこから便が出るようになっています。

便といっても、小腸から出るのは、水みたいなほぼ液体です。

液体が体からでてくるので、
このイレオストミーは管理が難しく、お腹の皮膚がただれたり、ストマパウチから漏れたり、いろいろ厄介だと言われていました。


私は若いので(<「病院の患者さんの中では比較的若い」と、ことわっておきますね。私の知人たちからブーイングが出そうなので)、

ストマの管理も心配ないでしょう!と、言ってもらっていました。


確かに、退院前には、自分でストマパウチの交換ができるようになったのですが、

高齢の患者さんでは、あれは大変だと思います。

難しい人は、訪問看護師さんが家に来て、ストマパウチを取り替えてくれることもできるようですよ。
(費用はかかりますが、高齢者だと、病状によっては介護保険が適用される場合もあるのではと思います。相談されてみてください)

私の事も、母が心配して、在宅医療の訪問看護師さんの知り合いに尋ねてくれていました。
その時に看護師さんから聞いた話では、
私は若いので(2回目(笑))介護保険の対象じゃないので、実費で1回2200円で交換してくれるという話だったと思います。




話を戻しますが、
流動食で、ストマの通り具合を見るのですよ。

ザーザー出てきて、食べたものというか、水がストマパウチに溜まります。

外科の主治医が心配するには、
水分がどんどん体から出てしまうので、ストマをつけてると電解質異常を起こしてしまう場合が多いとのこと。


それで、食事が始まって数日後、

あまりに水っぽくて、また採血で多少の電解質異常になったので、

外科主治医が心配して、
カリウムの薬と、
下痢止めみたいな腸の動きを鈍くする薬を足したのですよ。



20211026hiru.JPG
すると、それまでこれぐらいの食事が食べられるようになったのに、


まったく食べられなくなりました。

下痢止めが、ものすごーく効いてしまい、まったく食事を受け入れられなくなってしまいました。

ぜんぜんノドを通らないの(T_T)

ムカムカして気分悪いし、戻すし、手術したのに、ぜんぜん食べられなくて、辛かったです。

(本当に、入院当初から、食べられない日ばかりの入院でした)



下痢止めをやっとの思いで(主治医がなかなか私の訴えを聞いてくれなかった)、中止してもらい、

するとすぐに食べられるようになりました!

薬の効き目は個人差がありますね。

(主治医にすれば、「これぐらいの薬の量で、そんな事になるわけがない」という感じでした)


この病院の外科は、毎日、朝と夕の1日に2回、外科回診があって、

他の外科医や外科の専門看護師さんもやってきてくれるので、

主治医以外にも、症状などなんでも相談できます!

そのおかげで、主治医には聞き入れてもらえないことでも、みんなで考えて治療方針を決めてくれるので、良い病院やな〜と思いました。



さて、ストマの話です。

退院したけきゃ、「ストマパウチを自分で交換できるようにならないといけない」のです。

ストマパウチ(専用袋)は、病院では、最初の数枚はタダでくれたと思いますが、
これは消耗品なので、
専用業者から購入しないといけません。

結構、高いです。
(10枚入で8000円ぐらい)

そして、ストマは、一生つけないといけない場合は、障害者手帳がもらえて(たしか、5級か、6級だったと)
ストマパウチの購入費用の助成があるとのことですが、

私は、大腸を休ませるための、一時的なストマ(数か月とかの予定)だったので、
購入費用の助成はありませんでした。
(もしかすると自治体によって違う場合があるかもしれないので、それぞれの地域で聞いて下さいね)

確定申告の際に、医療費控除にはなるとのことでした。
ストマパウチ購入には、消費税はかかりません(非課税)

ちなみに、ストマパウチってどんなのかというと、いろんな種類があるのですが、
こんな感じの袋です↓


そして、交換頻度ですが、

3日〜4日に一度。慣れた人なら1週間持つ場合ある。

しかし、
慣れないうちや、何かのトラブルで、
1日に2度も3度も交換せねばならない場合もないことはないのです。

難しい。



最初は、ストマを見ることもできなかったですが、
私は早く退院したいので
頑張って、交換方法を教えてもらいました。


ストマ専門ナースがいてる病院だったので、
その専門ナースが、教えてくれて、それを病棟ナースが私と一緒に勉強してくれて
共に、ストマ交換をしてくれました。

最初は大変です。

これは、説明も難しいので、必要な方はナースから聞いてください。
1度や2度聞いただけでは、できないです。


でも、何度かやってるうちに、難しくなくなって、簡単にできるようになりますので
心配いりませんよ!

大丈夫!


そして、はじめて見る私の小腸は、小さくて丸くて、赤い。真っ赤です。

とっても、かわいいんです。

小さな小さなタラコ唇みたいな感じ?

見てみたら怖くなかった。
慣れてくると、愛おしいほど。



専門ナースが言うには、私の外科主治医が「とても上手に丸くストマを作ってくれてる」と喜んでいました。

本当にまんまるで、ストマパウチの穴のサイズにピッタリなんです。

あの外科主治医(執刀医)は、きっと腕がいいのでしょう。

おかげさまで、管理がしやすかったのです。



さて、詳細は、個人差があるので、ナースや主治医と相談したり、聞いてみてくださいね。


私は、退院に向かって、ストマパウチの交換方法を学びながら、

毎日リハビリを続けていました。


なかなか、歩けなかったのですが(体力を落としまくってたので)

外科の上の先生から「階段を上れたら退院だね」と言われた、そのひとことで

俄然やる気がでまして、

あっという間に、ちゃっちゃと歩き、日に日に階段を上れるようになりまして、


11月の頭に、退院ができる運びになりました。


10月21日に手術で、11月4日退院。

手術から2週間で退院となったわけです。


これは、ちょっとスピード退院でした。

本当は、ストマパウチの交換をあと1週間ぐらいは、練習しておきたかったそうです(後日、専門ナースより)

早く退院してしまった為に、家に帰ってから大変な困難が待ち受けていました・・・(T_T)



手術までが、長かったので、
あの時の私としては、一日も早く家に帰りたかった。

9月15日に入院していたのですもん。
私より後から入院してきた患者さん達が、次々、次々と退院していくのを、うらやましく見送ってばかりでした。

真夏の暑さが残っていたあの入院日から、やっと外に出られた退院日は、11月初め、もう寒いほど。


まぁ、家で大変なことになりましたが、

やっぱりちょっとでも早く帰ってこれて良かったです。



ひとまず、退院できたよ!!!というところまで。


長くなってしまいました。
読んで下さりありがとうございました。


では、家に帰ってからの続きか、書き残したちょっとオモロイ!?話などは、また今度に〜!




前回はこちらです

【追記】
この記事の続きというか、余談というか、番外編のような話



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